「ばらばらの世界という考え方は、二十世紀初頭の量子物理学の発見によって、きれいさっぱり捨て去られたはずだった。量子力学の先駆者たちが物質の核心深く迫ったとき、そこで出会ったものに腰をぬかすほど驚いた。物質の最小のかけらは、私たちが知っている物質ではなく、なにかしらのモノの集りでさえなく、ときによって別の姿に変わっていた。さらに不可思議なことに、可能な複数のモノすべてとして同時に存在する、という場合が珍しくなかった。しかしもっとも重要だったのは、こうした原子内粒子がばらばらに存在していては意味をもたず、ほかのすべての粒子との関係においてのみ意味があるという事実だった。物質は、その根源において、もはや独自性のある小さい単位へと分けることができず、分割が全く不可能になった。この宇宙は、常時変化しながら相互に結びついた網の目としてしか理解できない。いったん接触したものは、全ての空間と時間を通じて、いつまでも触れ合った存在でいつづける。そもそも、時間と空間そのものが、どうやら任意に定められた構成概念のようであり、この水準の世界にはもはや適用できなくなっていた。実際、私たちの知る意味での時間と空間は存在しない。私たちが見えるモノはすべて、ただひとつの長大な現世の一風景にすぎなかった。」
リン・マクタガート著「フィールド響き合う生命、意識、宇宙」p13より引用
今日は、引用のみ、この項、後日また取り上げます。文中、太字による強調は、私がしました。
沖縄、久高島
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